オリジナル小説 暗闇で抱きしめて-『Hold me in The Dark 』人生一睡夢 5

今から思えば、僕はこうしてずるがしこいことを学んでいってしまう自分のことを、心の中では嫌悪していたんだ。でもそれを悪いことだと認めることによって崩れてしまう自我と戦っていたんだと思う。だから、こうするしかないんだ、仕方がないんだ、悪くはないんだってしきりに自分を説得していたんだ、もちろん、無意識にだけどね。
 駅員に言ってしまった手前、というか後ろから見られているような気がして、僕と拓也は指差した道路の方へ歩いて行った。長くまっすぐに続く道だった。しばらく行くと周りが田んぼばかりの農道になった。上から注ぐ夏の陽の光とアスファルトの照り返しで、ヘトヘトになって喉もカラカラに乾いていった。もう駅が見えないくらいまで歩いた僕たちは途中にあるバス停のベンチに腰掛けた。田んぼは水をたたえて、稲穂が青々と伸びて、真っ青な空、僕は地上まで降りてきそうな大きな入道雲を見ていた。
「のど、かわいたね」
 拓也ははにかむように笑うと、両手をベンチに置いて、足をブラブラと揺らしながら僕を見て言った。電車に乗ろうと言い出したのは拓也だったんだけど、僕はなぜだかその時拓也を連れてきてしまった負い目みたいなものを感じたんだ。けれど僕たちの喉を潤すのもはその周りにもなかったし、ポケットに手を突っ込んでも十円玉さえなかった。
「そうだね」 
 僕はそう言いながら周りを見渡した。そして五十メートルくらい先にある一軒の農家を見つけると
「あそこ」と言ったんだ。
 僕は拓也の手を取ると、農家に向かって歩き出した。拓也の顔は真っ赤に火照っていて、汗が顔じゅうにひっついていたっけ。
 僕は農家の庭に入っていくと
「水をください」って声を出した。
 すみませんって声をかけるのが本当なんだけれど、僕は拓也に水を飲ませたいことしか考えてなかった。だから玄関の引き戸を開けるのも抵抗はなかったよ。もう一度声を出そうとした時
「誰かね」
 と後ろから声が聞こえた。振り向くと、農作業を終えたところなのか、おばあちゃんが麦わら帽を取りながら手ぬぐいで汗をぬぐっていた。
「水を」
 僕がそう言うと、顔じゅうをしわくちゃにしながら
「そうかい。のど、かわいたのかい」
 と言って家の中に招き入れてくれた。おばあちゃんは僕たちを玄関に腰かけさせると、コップに入った麦茶を持ってきてくれた。そばに水筒を置くと、
「全部飲んでいいんだよ」
 そう言って笑った。麦茶を一気に飲むと冷たい水が喉からお腹に抜けていって、僕の体を生き返らせた。僕と拓也は何杯もおかわりした。喉の乾きをうるおした僕らは、また元気いっぱいで一直線の道路を歩き出した。

 僕たちは、またどこまで続くのかわからない道をただ歩いて行った。どこまで行こうとしているのか、わからなかったしわかろうともしなかった。なぜだか、あの時はそれでいいと思ったんだ。拓也は僕に向かって「楽しいね」と笑った。拓也の白い歯が一層白く見えたっけ。
 二十分くらい歩くと、海についた、ほんとうに広い海だったな。海は二百七十度くらいまで水平線が広がっていた。あとから知ったんだけど、九十九里浜っていう海だった。海を見るのは初めてだったんだけど、海の青さよりも打ち寄せる波の音があんなに大きいとは思わなかった。僕と拓也は裸足になると波打ち際まで駆け出した。砂を含んだ水が靴の中まで入り込んでくると、ズボンまで濡れてしまったっけ。僕は手で水をすくうと思いきり口に入れてみた。海水があんなにしょっぱいものだとは、その時までわからなかったんだ。
 そのあと僕と拓也は少し海から離れた高台に座って、打ち寄せては返していく波や、その波に乗ってサーフィンに興じている人たちをただ見ていた。時の経つのも忘れてね。
「お腹すいたね」
 拓也は、遠くを見ながら言った。僕はそうだねって、返事をしたもののそのまま膝を抱えて海を見ていたんだ。別に理由なんてない、その時はお腹を満たすことよりも海をまだ見ていたい気持ちが強かっただけの話しさ。そんなこといくらだってあるだろう。




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